日本人観光客で、台湾の「夜市」に行かない人はほとんどいないでしょう。中でも「士林夜市」は、台湾最大規模を誇る夜市。京都から来た友人が「祇園祭り」みたいね、徳島から来た幼馴染が「阿波踊り」みたいーと言ってくれた日本ならお祭りでしか見られないようなにぎやかさが、ここ「士林夜市」では、連日連夜!旧正月以外は年中無休!で繰り広げられています。人ごみに紛れてしまったら、あなたならどうする?皆と同じものをとりあえず食べちゃおう?大きな当たり外れはないかもしれませんが、できれば老舗だったり、有名だったり、地元民に愛される屋台にトライしてみたいですよね!台北ナビは、巨大な士林夜市の食べ物エリアを3つに分け、各エリアで評判の屋台を7店ずつご紹介します!
MRT「劍潭」駅を降りると、目の前にあるのが「士林観光市場」。日本統治時代から87年間栄えてきた大南路の士林市場は、2002年台北市政府によって撤去され、現在の文林路と基河路の交差点にある「士林観光市場」に生まれ変わりました。中で屋台を持つ人たちに聞いてみると、2010年には元の大南路に戻り、この場所は「台北芸術中心」として生まれ変わるそう。それゆえか、ここは「士林臨時市場」とも言われています。いつの日か元の場所に戻っても、夜市精神は不滅。今の屋台とそこで働く人たちにはまた出会えます。
MRT劍潭駅から文林路をまっすぐ行くとぶつかるのが「陽明戯院(映画館)」。1970年代に陽明映画館ができて、周囲には屋台が集結、第二の士林夜市が誕生しました。その昔或いは今でも地方の映画館は、何かを食べながら映画を観るというのが台湾人の常。鶏の足をチュバチュバしたり、臭豆腐を充満させたり、映画館の中はいろんな匂いの密集地帯となります。映画館付近を中心に発展していった夜市、その歴史は40年足らず。今では、文林路と大東路をつなぐ道の両側も屋台だらけ。
士林夜市の発祥地はここ「慈誠宮」廟付近で、その歴史は90年あまり。日本統治時代の大正3年(1914年)に廟前は市場となりました。それ以前は大東路と大西路が肉、大南路は野菜と花。大北路は薬、魚、野菜が中心の市場で、廟の前は農業漁業の交易広場だったそうです。時代とともに市場は夜も繁栄し、夜市へと発展。その後士林夜市は「鬼仔市」(幽霊市)と言われるほどの屋台の多さとなり、廟の前から徐々に基河路の方向へも伸びていきました。
[夜市に挑む前の予備知識]
★夜市の屋台で座って食べることを予定している人は、どの屋台もアルコール販売をしていないので、
ビールなどはコンビニで買って持参!
★隣や近くの屋台のものが食べたくなったら先払いして、自分が座っているところまで、出前してもらいましょう!
★ベビーカーは押しにくいです。子供さんの手は離さないように!
★歩きやすい靴と動きやすい服で行きましょう!
★スリもいます。高価なものは身につけて行かないように!バッグが切られることもあるので、気をつけて!
★トイレが少ない!夜にはMRT劍潭駅のトイレにも長い列ができます。トイレは事前に済ませておきましょう!
★食べ歩きは手がべちゃべちゃになったりするので、ウェットティッシュがあると便利!
★むやみやたらと値切らないこと!嫌がられます。買いたいものだけにしましょう!
甘い味は、花生(ピーナツ)、芋頭(タロいも)、芝麻(ゴマ)、豆沙(小豆) 、椰子の5種類で、塩味は、カレーなど全部で6種類。30年以上の老舗です。ナビ的に見ると、油で揚げたお菓子に油系のお菓子を包んでいる風なので、中華系スイーツが好きな人には、満足できるお菓子かと思われますね。地元民は大好きなようで、皆食べ歩きしてたりします。冷めると油の味がもっと感じられるので、あったかいうちにどうぞ。6個買うと1個おまけ
- 2016/09/14(水) 12:20:04|
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台湾の国立故宮博物院は、台北市北部の士林区にあり、付近には高級住宅街が広がっている。この博物院には中華民国政府が台湾へと撤退する際に故宮博物院から精選して運び出された美術品が主に展示されており、その数が合計6万件冊。(台北に運ばれた旧故宮博物院の文物は、器物46,100点、書画5,526点、図書文献545,797点で、中央博物院の文物は、器物11,047点、書画477点、図書文献38点で、両院合せて総計608,985点である。)
この博物院は、1960年代から1970年代に中華人民共和国で起きた文化大革命における文化財の組織的破壊から、貴重な歴史的遺産を保護するという役割を担ったが、同時に中華民国政府が中国 (China) の唯一合法的な政府であることの象徴と、日本の統治から離脱したばかりの台湾において中華ナショナリズムを強調するための装置としても中華民国政府に利用されていた。そのために現在では、早期の台湾独立を求める泛緑連盟勢力の一部から「『台湾国独立』と引換えに故宮博物院の文物を紫禁城に返そう」という主張が出ているが、実現の可能性はほとんど無い。2016年9月には台北故宮博物院院長退任直後の馮明珠が中台一体化の演出を狙う中華人民共和国政府の招聘で北京故宮博物院顧問に就任して台湾国内で物議を醸した[
2001年より大規模な耐震・改装工事が行われ、館内の一部が閉鎖されていた。工事は2006年12月末に完了し、2007年2月8日より全館が一般公開された。
展覧館は年中無休、一般入場料は250台湾ドル。図書文献館は日曜祝祭日休館で閲覧証持参者は閲覧無料である。
- 2016/09/14(水) 12:17:37|
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「文昌帝君」は学業と試験の神様です。台湾の受験シーズンの5~6月になると、たくさんの受験生やその保護者が詰めかけます。
合格祈願は神様に名前と住所、生年月日を告げて、「○○に受かりますように!」と願い事をし、神様の前にある「准考證影本放置處」に受験票のコピーを投函します。とても具体的で、神様にも願いが届きそうですね。
そして、お供え物にもそれぞれ意味があるのがまた興味深いところ。たとえば、学問の神様へのお供えものは決まって「ネギ、大根、包子」。
これらの中国語の発音は、「賢い」や「(合格を)保証」の中国語の発音に似ていて、縁起をかついでいるようです。
受験生には嬉しいプレゼントもあります。東側の鐘楼の窓口で、「文昌帝君」でお参りしたと申し出れば、龍山寺のシャープペンとボールペンをいただけます。このペンを持って受験に臨めば心強いですね。
「註生娘娘」は子宝と安産、そして子どもの成長を守る神様です。特に子宝のご利益が有名で、神様の前には出産後のお礼参りで送られた蘭の花がずらりと並んでいます。
じつはナビもこの神様に拜拜してすぐに妊娠しました~。しかも2回!ご利益は証明済みですので、「子を授かりたい!」という方はぜひお試しください♪
こちらのお供えものには、妊婦さんが産後、滋養のために食べる「麻油鶏」も登場するとか!場所が違えばお供え物もいろいろ。ちょっと台湾の文化や習慣が垣間見られて、面白いです。
女子最大の関心ごとといったら、やっぱり恋愛でしょうか?!
こちらの「月老神君」は、良縁を司る神様です。ナビが取材で訪れた日も、この神様の前は女子たちで大変賑わっておりました!ここで“正しく”願い事をすると、神様から「運命の赤い糸」をいただけます。お財布に入れて身につけておくと御利益があるそうで、運命の人に出会えたり、意中の彼と結ばれたりするかも!?
寺の出口付近には、お守りや数珠、絵はがきなどの売店があります。健康や仕事のお守りからペットのお守りまで、多岐にわたって豊富に用意されています。
- 2016/08/26(金) 18:09:28|
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本殿の天井を見上げて見てください。中殿藻井は、龍が螺旋を描いて天に昇っていく様が精緻に表現してあり、まさに圧巻!仏教の「人生輪廻」を意味しているそうです。そして八角形の三川藻井は細工が幾層にも重なり合って広がり、美しく広がる蜘蛛の巣のようです。
とても芸術性の高~い建築物で、このほかにも見所いっぱいです。国家古蹟にも指定されていますので、建物にも注目してみてくださいね。
こちら龍寺山の御本尊は、本殿の正面にいらっしゃる聖観世音菩薩(観音様)。第二次世界大戦終戦間近の民国34年(1945年)、アメリカ軍の空襲によって石柱までも全壊するという惨事に見舞われましたが、この木造の観音様だけはその被害を逃れ、無傷でいらっしゃいました。そのため、地元の人は観音様の膝元は安全だと信じ、空襲がある度に観音様のそばに駆けつけて避難したそうです。
激しい空襲のなかでも避難者に負傷者はなく、そのご利益から地元の人に今でも厚く信仰されています。本殿には観音様のほかに、文殊菩薩、普賢菩薩、十八羅漢、韋馱護法、文殊菩薩が祀られています。
本殿に祀られているのはすべで仏教の神様で、一方の後殿には主に道教の神様が祀られています。こちらは学問や商売、子宝、恋愛などそれぞれの分野によって分かれています。
祀られている神様は、
文昌帝君、大魁星君、紫陽夫子、馬爺、天上聖母、太陽星君、太陰星君、註生娘娘、池頭夫人、十二婆者、水仙尊王、城隍爺、龍爺、福德正神、關聖帝君、三官大帝、華陀仙師、地藏王菩薩、月老神君
ものすごい数の神様です。
このなかから、地元の人から特に厚い信仰を寄せられている神様をピックアップしてご紹介します。
- 2016/08/26(金) 18:07:47|
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今回は、台湾に来たからにはぜひ訪れたい観光名所のひとつ、「龍山寺」をご紹介します。
ここは創建約270年の台北で最も歴史のあるお寺で、凝った装飾が施された建築物は一見の価値あり!そしてなにより、願い事をすればご利益があるとして、地元の人からも厚い信頼を受けています。拜拜の日(旧暦の1日と15日)やお正月は参拝者で境内が埋め尽くされ、身動きもとれないほどの盛況ぶりです。
さあ、あなたも願い事を胸に秘めて、“台北最強”のパワースポット龍山寺に行ってみましょう~!
龍山寺は清時代の乾隆3年(1738年)、大陸福建省泉州から渡ってきた漢民族の移民たちによって創建され、福建普江安海龍山寺の分霊を迎え入れました。
その背景には、漢民族が台湾北部へ移民してきた当時、あまりにその土地の環境が悪く、「三在六亡一回頭」(移民してきた10人のうち3人が残り、6人が死亡、そして1人は帰国)の状態だったことがあるようです。龍山寺には、移民たちの「神様に保護していただけるように」という切実な想いが込められているのです。
正面の門を入ったら、まず右手にある入り口へ向かいましょう。このお寺は入り口と出口が決まっていて、右手の入り口「龍門」から境内に入って参拝。その後、左手の出口「虎門」から帰る、という流れが決まっています。間違わないように、地元の人の流れに付いていきましょう!
境内の総面積約は1800坪で、御本尊を祀った本殿を中心にして、周囲に前殿、東側の鐘楼、後殿、西側の鼓楼が配置されています。それらは渡り廊下で繋がっていて、上から見ると「回」の字の形をした構造になっているのが特徴です。
建物はこれまで災害や戦争の影響を受けて、何度も改修工事が行われています。なかでも、1919年の大改修工事の際に取り入れた『中国宮殿式廟宇建築』は必見!随所に目を見張るような細工が施されています。
本殿前方の左右に配された一対の「銅雕龍柱」。
1920年代の作品で、台湾では石製の柱が一般的ですが、台湾唯一の銅製の龍柱だそうです。立体感溢れる龍が見事に表現されています。
- 2016/08/26(金) 18:06:50|
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