
みなさん、お元気ですか?
週の始まりである月曜日を学びの月曜日にしませんか^^v
そして、食欲の秋を学びの秋にしてみませんか?
それにちなんで今日は「学び」について話そうと思います。
皆さんは論語についてどれぐらいご存知でしょうか?
今日のその第一弾として、
論語の「学而篇」について少し紹介したいと思います。
論語を日本語で読む方は多くいらっしゃると聞いていますが、
中国語で論語を読んでみませんか?
日本語で読む際には、以下のように詠まれているそうです。
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子曰く(しいわく)、
学びて時に之を習う、
また説ばし(よろこばし)からずや。
朋遠方より来たる有り、
また楽しからずや。
人知らずして慍みず(うらみず)、
また君子ならずや。
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日本人にとっては、あまりにも普通のことだと思いますが、
李白の詩を日本語で詠んだのを聞いて驚いたことを思い出します。
中国語ができる皆さんなら、
やはり中国語で格好よく詠まなければ!笑
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子曰:
zǐ yuē:
学而时习之,
xué ér shí xí zhī,
不亦说乎?
bú yì yùe hū?
有朋自远方来,
yǒu péng zì yuǎn fāng lái,
不亦乐乎?
bú yì lè hū?
人不知而不愠,
rén bù zhī ér bú yùn,
不亦君子乎?
bú yì jūn zǐ hū?
日本語訳をしてみようと思いましたが、
私の知識と見識では、なかなかうまく書けないので、
下村湖人さんの現代語訳をここに乗せてみました。
よかったらぜひご参考まで!
「先師がいわれた。聖賢の道を学び、あらゆる機会に思索体験をつんで、それを自分の血肉とする。なんと生き甲斐のある生活だろう。こうして道に精進しているうちには、求道の同志が自分のことを伝えきいて、はるばると訪ねて来てくれることもあるだろうが、そうなったら、なんと人生は楽しいことだろう。だが、むろん、名聞が大事なのではない。ひたすらに道を求める人なら、かりに自分の存在が全然社会に認められなくとも、それは少しも不安の種になることではない。そして、それほどに心が道そのものに落ちついてこそ、真に君子の名に値するのではあるまいか」(現代訳論語)。
皆さんにとっての論語「学而篇」はどのように解釈されましたか?
最近読み直していますが、
このような、古典哲学のようなものは、
その生きた時代、生きた社会背景によってその解釈がさまざまであることに気づきました。
小さいときに読んだときのイメージとだいぶ違ってきました。
もし、私が日本に来ていなければ、
もし、私が教師という職業についていなければ、
私の解釈はどうだったんだろうと、考え込みました。
皆さんはどのようにお感じになりましたか?
ぜひ、いろいろ意見聞かせてくださいね。
皆さん、ぜひ食欲の秋を学びの秋にしましょう!
レッスンをサボっている生徒さんの方々も、
すっぽり抜けてしまわないうちに、レッスンにきてくださいね~!笑
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